2、
3週間程がたち、また映画でもどうかというメールが来た。
うん、これ以上引き延ばすより、きちんと話した方がいいよね……。
私は決意すると、行きますという返事をした。
当日、待ち合わせた駅に着くと、忍足さんは先に来ていた。自分も少し早めに出たのになと思う。
壁の前に立つ姿はスタイルがいいため目立ち、遠目でもすぐに見つけることが出来た。
そちらに近づくと、声を掛ける。
「待たせちゃってすみません」
「いや、俺が早かったんや。それにまだ前やし……って、どないした? なんか元気ないんとちゃう?」
忍足さんは顔を見るなり、異変に気付いたようだった。自覚していなかったけど、表に出てしまっていたらしい。
「もしかして、どこか具合が悪いんか」
はっとしたように尋ねられた。
「いえ、そうじゃないです……」
否定したものの、声に力が入っていないのが自分でもわかった。
「そやけど、顔色も冴えんし、いつもの巴やあらへんで」
心配げに目を細めると、座れる場所へ移動しようと私の肩に手を掛けた。そうしてかばうようにして、混雑から外へと抜け出した。
すぐ前にあった噴水へと近づくと、その端に腰掛けるように言う。
「とりあえず、ここ座り。……確かに熱はないみたいやな」
私が座ったのを確認すると、正面に跪いた忍足さんは、額に手を当てた。
「体調が悪いわけやないなら、ここ来るまでに何かあったんか。よければ、俺に話してくれへんか」
気づかう瞳は真剣で、その様がかえって胸を締め付けた。
テニスをする上では厳しい事も言われた。だけど、こうして会う時はいつだってやさしい。
忍足さん、いい人すぎる……。
私はたまらなくなって言った。
「あの、私、忍足さんにいつも我慢させてたんだって……気付いて」
「は、何やて……?」
驚いたように、目を見開かれる。
「だって……、私の事ばかり優先してたじゃないですか。新しい靴を履いて行った時は、なにげなく喫茶店で休憩させてくれようとしたり、パフェ食べたいなって思っても高くて迷ってたら、それがおススメとか言って奢って貰ったし」
あれもこれも、思い返せばキリがない。
「そんなん……、男やったら普通のことや。付き合うとるならなおさらやし、気にすることやないで」
呆れたように言われて、だけどそれだけじゃないと私は首を振った。
「それに、映画だって。忍足さん、好きなのは恋愛映画なんですよね? 私と観てたの、コメディやアクションとかばかりだったじゃないですか……」
朋ちゃんに聞いた答えは、このことだった。
付き合うのが楽しくて当然だ。これだけの事を、毎回して貰っていたんだから。
私、ぜんぜん気がついてなかった……。
それが分かったとたん、ひどい自己嫌悪に陥った。ちゃんと忍足さんを見ていれば気付いたかもしれないのに、ただ浮かれて。
「まさか、そう来るとはな……」
忍足さんは、うーんと唸った。
「俺としては、巴が隣にいて楽しんでくれればそれでええんやけど」
「……だめです、私だけじゃ、駄目なんですっ!」
思わず立ち上がると、ぎゅっと拳を握りしめて言った。
「2人でないと、嫌なんです。だってそうじゃなきゃ、ずっと一緒にいてもらえない……!」
忍足さんは驚いたように、目を見張った。
会って別れた後に、今度はいつ会えるのかなって考えるようになった。
なのに、負担になっていたら、次はなくなるかもしれない。
そう思うと急に怖くなった。
楽しければ楽しいほど、失う事を考えるなんて、こんなこと、今までなかったのに。
だけどこれじゃ、ただの我がままだ。ちゃんと言おう。私が頑張るからって。
そう口にしようとした私の前に、忍足さんは同じように立ち上がると、両肩に手を置いた。
「驚いたわ……。いきなりとんでもないこと言いよるな、自分」
うつむくと、はぁ……、と深いため息をついた。
「心臓、飛び出すかと思うたで。こないな場所で、堂々と殺し文句を言われるとはさすがに想定外やった」
「……あっ!」
しまったと思ったけど、もう遅い。気がつけば、近くにいた人たちの注目を浴びていた。
う、うわーっ! やっちゃった……。
ずっと考え込んでいたので、周囲のことを考える余裕がなかった。往来だということが頭からすっかり抜けていた。
は、恥ずかしい……っ。
かっと顔が熱くなった。そんな私に、忍足さんは言った。
「場所、変えよか。行くで」
「は、はい……」
うつむいたまま、その場を後にした。忍足さんはそんな私の手を引いてくれて、申し訳ないと思いつつも、付いていてくれることに救いを感じていた。
「落ち着いたか?」
少し歩いたところにある公園のベンチに腰掛けると、忍足さんは買って来た飲み物を渡してくれながら言った。
「はい……、すみませんでした」
缶ジュースを受け取ると、それをきゅっと握りしめた。
最悪……。忍足さんは何も悪くないのに、あんな風に言っちゃうなんて。
しょぼくれていると、隣に気配がした。忍足さんは腰掛けると、持っていた自分の缶を横に置いた。
「別にええよ、巴の素直な気持ちが聞けたわけやし。まあ、お前はいつもそうやねんけどな」
くすり、と笑いが漏れた。
「そうですよね。ぜんぜん成長してませんよね……」
イノシシ娘とか言われ慣れてるけど、今回ばかりは反省した。しかも、この人まで巻き込んでしまった。
「いや、責めてるんやのうて。そやなあ、今の感情を何て伝えたらええんかな……」
忍足さんは、空を仰ぐようにしてつぶやいた。
そうしてから、口を開く。
「順を追って言うとな、さっき巴が指摘したこと、あれは俺の都合でもあるんやで?」
「えっ」
「新しい靴で無理して歩かせて、きれいな巴の足に傷をつくるのは嫌やったし、パフェかて、好きなものを幸せそうに食べとるとこが見たかったからや」
それにな、と、ふっと口元を上げる。
「さっきは男やったら普通みたいなこと言うたけど、ホンマは、俺といることが一番楽しいことやって覚えて欲しかった。そうしておけば、この先別の相手と出かけても、俺の方がよかったって思ってもらえるやろ?」
「ちょ、ちょっと待って下さいっ!」
途中から、おかしな方向に話が進んだ気がする。さすがにびっくりして止めた。
「なんか過程が変じゃないですか? 他の人って言っても、付き合ってる忍足さんと同じに考えたりしないですよ」
恋人とそうじゃない人とは、さすがに違う。すると、忍足さんはすうっと目を細めた。
「……あないな中途半端な告白でも、認めてくれてるんやな」
そうして、わずかに笑うと小さくつぶやいた。
「さっきかて、もしかすると別れ話かと思うて内心焦ってた、ゆうのに」
「はい?」
「いや──、ええ。そんなお前やから、こうして本心さらす勇気持てたんや。気持ちをまっすぐぶつけてくる相手に、保身考えるやなんて、アホやな俺は」
そして私を見つめると、笑顔を向けた。肩の力が抜けたような柔らかな笑みに、思わずどきっとする。
こんな風にも、笑うんだ……。
私から見た忍足さんは、頼れる人で、カッコ良くて。
だけど、テニスをしている時以外は、少しだけ遠いような気がしていた。
見守ってくれるけど、全部は見せない。
だから、気持ちがわからなくて不安になった。私が年下で未熟だから、我慢して合わせてくれてるんじゃないかって、疑った。
「あの……、私といて、楽しいですか?」
意を決して尋ねると、忍足さんは何を今更というように答えた。
「当たり前やん。お前と一緒の時間は、宝物みたいにきらきらしとるで」
……と、同じやな。そう小さく口にすると、目を閉じた。
そして、ふいに肩に重みが掛かり、甘えるように顔を寄せられた。
「お、忍足さん……っ」
「誰もおらんし、少しの間こうしといて。実は、大会も近いし昨日まで猛練習でな。そやで中休みの今日は、巴に癒してもらいに出て来たわけや」
「そ、そうだったんですか……」
だったら騒いで悪い事をしたなと反省しつつ、内心、この体勢はつらいなと思っていた。
うわぁ、ドキドキする……。で、でも堪えなきゃ!
ぎゅっと、目を閉じたものの、余計に、忍足さんの気配を感じてしまった。心臓の音が聞こえてしまわないかと緊張する。
どうしちゃったんだろう、私。今までだって、このくらい近づいたことあったのに……。
付き合う前だって、こんな風にはならなかった。自分がおかしくなってしまったみたいだ。
忍足さんといると、楽しくて、嬉しくて……ううん、そんなことじゃ言い表せないくらい気持ちがあふれて来る。
心が、ただ1人に埋め尽くされて行く、そんな事は初めてで。
だけど、この遅れてやって来た想いの名前が何なのか。
いまさらなのかもしれないけど、答えはもう出ている気がした──。
それから公園に人がやって来たので、予定していた映画に行こうかという話になった。時間はだいぶ過ぎていたけど、ひとつ先の回なら大丈夫そうだった。
「巴さえよければ、今度は恋愛ものにするか? 予告で良さげなのあったし」
「えっ、……はい、ぜひ!」
忍足さんの好きなものなら、私だって観てみたい。
そう思って勢いよく頷くと、くすっと笑われた。
「別に今までだって、メインはデートなわけやし、何でも良かったんや。まあ、巴が好きそうなの選んどったのは事実やけど」
「どれもおもしろかったです。内容もですけど……、きっと忍足さんと2人で観たからだと思います」
思い出しつつ言うと、どうしてか、ふうと息をつかれた。
「……計算しとるんやないだけに、参るわ、ホンマ」
「まいる?」
「なんでもあらへん。そっち系はおススメがぎょうさんあるで、外やなくてもええかと思っとった。そのうち、家で一緒に観るか」
「わぁ、それもいいですね!」
確かに映画館まで行かなくたって、レンタルとかでも十分だ。
と、そこまで考えて、ふと気がついた。
あれ、家って……?
そう思って隣を見上げると、忍足さんと目が合った。眼鏡の奥で、にこっと微笑まれる。
「俺の部屋、招待するで。設備はばっちりやし、身ひとつで来てくれて構へん」
え、ええっと、それって……。
再びドキドキして来た。つまり、完全に2人っきりということになる。
ど、どうしよう、間がもつかなあ……。
これまでだったら、何も考えずに行けたけど、なんだか自覚した今は緊張するというか……。
心の中でじたじたしていると、忍足さんは耳元に顔を近づけ、ぼそっと囁いた。
「約束や。待っとるで、巴」
かあっと、血が一気に頭に上った。
き、きゃーっ……!!
思わず、叫びそうになった声を抑えるのが精一杯で。
な、なんか、忍足さんがくせ者って言われているの、わかる気がする……。
付き合い出して3ヶ月目のある日、私はそう悟ったのだった。
終
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かわい 五香様
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