言葉にしなくても、ただ居るだけで満たされるのなら。
もしかしたら、形なんて必要ないかもしれない。



恋が目覚めるその日まで



  1、


 日曜の昼間、街をふたり並んで歩いていた。
 約束した映画を観て、その帰り道。隣を行く忍足さんに話しかけられた。
「けっこう歩いたけど、疲れてへんか?」
「はい! なんだったら、家まででも平気ですよ」
 楽しい気分のまま答えた。すると、感心したように言われる。
「元気やなあ……。電車で2駅あるで?」
「鍛えてますから、少々のことじゃへこたれませんよ」
「ははっ、さすがやな。巴とおると、それもオモロイちゅう気になるから不思議や」
 頭の上に手を置かれ、ぽんぽんと、あやすように触れられた。
 忍足さんは普段から私に対して、こうした扱いをする。子供にするみたいだけど、嫌だとは思わない。どちらかと言うと嬉しかったりする。
 なんていうか、すごく親しい感じがするし。
 同い年の子にされるなら別だけど、この人は年上で高校生なのだ。
 それに今は──と、そんな事を考えていると、忍足さんは思いついたように提案する。
「実はな、もう少し先に喫茶店があるんやけど、いっぺん入ってみたい思うてたんや。行ってみるか?」
「もちろんです。お供します!」
 連れて行ってもらえるなら、どこまでも。私は、大きく頷いた。
 お店は思ったより遠くなく、ほどなく着いた。店内は混んでいたけど、座れないほどではなかった。
 シンプルだけど、かわいい感じのお店だなあ。女の子、たくさん来てる。
 店内には販売用の雑貨なども置いてあり、そちらを見ているお客さんもいた。
 私はお店を見回した後に、メニューを渡されたので広げた。すると、
 わぁ、おいしそうなの沢山あるー!
 広げて見ているだけでも楽しい。ついはしゃぎそうになって、はっと我に返る。
「すみませんっ、忍足さんもどうぞ」
「いや、俺はもう決めとるから、巴はゆっくりしたらええ」
「そうなんですか?」
 来てみたいと言っただけあって、下調べでもしてあったのだろうか。
 さすがだと思いながら、私は再び迷い始めた。忍足さんはそんな私を、笑いながら優しく見つめていた。



 私と忍足さんが付き合い始めたのは、夏のある日。
 家から少し離れた所にある屋内テニスコートで打ち合った後、ふいに質問されたことが始まりだった。


「なあ、巴は誰か、気になる相手おるんか?」
「ええと、青学でですか? それとも他校の選手も含めてとか」
 今一番気になるのは……と考えていると、待ったと止められた。
「そうやない。テニスの事やのうて、異性として好きな人間のことや」
「なーんだ、違ったんですか。……って、いませんよそんな人!」
 いきなりな問いかけに、わたわたと焦ってしまった。
 忍足さんはそんな私の様子を見て、なるほどと頷いた。
「だったら安心したわ。これまでみたいに、俺とばかり一緒にいたら誤解されてしまうやろ? そやから確認したんや」
「そうだったんですか。だったら、大丈夫ですよ」
 私は手にしたタオルで汗を拭き取りながら、笑って言った。
「デートとか憧れたりはするんですけど、テニスしてたらそんな時間もないですし」
 部活と自主練習だけで、放課後や休日は、ほぼ埋まっている。
 それに、忍足さんと打ち合う方が楽しいし。
 年度末に行われたジュニア選抜でパートナーになった後、私たちはたまにこうして屋内コートやストリートコートで練習をしていた。
 高校生になった後も、こうして来てくれている忍足さんには感謝だ。
「っていうか、忍足さんこそいいんですか? 私といると誤解……はさすがにされないと思いますけど、暇はなくなりますよね」
「どうやろな……。ああでも、女子と遊ぶ時間はないのは確かや。せめて、テニスに理解ある子でないと」
「ですよね」
 というものの、忍足さんはモテるから、実際は相手には困らないだろう。
 さっきも、別のコートに来てた知らない女の子たちが、気にして応援しに来ていた。
 だけど、もし忍足さんに恋人が出来たら、テニスを一緒にする時間は減る……よね。
 その事に気付いて、それは嫌だなと思ってしまった。
 勝手な意見だけど、学校も学年も違う私たちが打ち合えるのは、待ち合わせて作ったわずかな時間だけだ。それさえもなくなってしまうのは、寂しいと感じる。
 すると、忍足さんはひとつのことを提案した。
「そや、いっそ、俺たち付き合うてみるか?」
「……はっ?」
 今、なんて……?
 さっきから思いがけない言葉の連発で、頭がついていかない。
「巴が嫌なら、無理にとは言わへんけど」
「そんな、いやなんかじゃ……」
「じゃ、決めるで」
「え、ええっ! で、でも、私、そういう経験なくて、どうすればいいのか分からないんですけど……」
 正直に答えると、おかしかったのか忍足さんの口元に笑みが漏れた。
「あっ、笑いましたね?」
「……いや、すまんな。反応が、らしい思っただけや。決して悪気があったわけやない」
 弁解すると、私を見てやさしく口にした。
「付き合う言うても、今までと同じで構へんよ。コートで会うた後に、一緒に帰るとかだけでもええ。趣味と実益を兼ねた感じでどうや?」
 だったら自分にも出来そうだ。忍足さんと一緒にいるのは楽しいし、しかもテニスも出来る。素晴らしいことだった。
「それでいいんだったら、お願いしたいです」
「よし。ほなら、俺たちは今から恋人同士や。よろしく頼むで」
「はい、こちらこそ!」


 そんなノリではあったけれど、私たちは付き合うことになった。
 なんのかんの言って、デートっぽくなっているのは、忍足さんが上手にリードしてくれるおかげだ。
 こうなったことを友達に報告したらびっくりされたけど、元パートナーだったためかすぐに納得された。
 ミクスドの時、いい感じだったもんね、と。
 そっかあ、そう見えてたんだ……。
 嬉しくて、えへへと笑いっぱなしだった。その日は1日ずっとそんな感じだったので、途中から、気持ち悪いと小突かれる始末だった。


 喫茶店でしばらく話した後別れて、私は家に戻って来ていた。部屋に入ると、ベッドの上にごろんと転がった。そうして、今日のことを思い返す。
 付き合うって、こんなに楽しいんだ……!
 きっと相手が忍足さんだからだろう。テニスで相性バツグンだから、他でもそうに違いない。
 忍足さんも、そう思ってくれているといいけど。
 私だけが楽しいばかりじゃ不公平だ。いつも優しくして貰っているし、たまにはこちらから何かしたい。
 奢ってもらうことも多いし、プレゼントするとか。高いものは無理だけど、おこづかいで何とかなる程度なら。
 好みが分かるといいんだけど、どうせならびっくりして欲しいから、本人に聞くのはなしにしたい。サプライズというやつだ。
 どんなのがいいかなあ……。
 うーんと唸っていると、そこでふと思いついた。
 そうだ、朋ちゃんなら知ってるかも!
 クラスメートの朋ちゃんは、独自で調べ上げた他校テニス部の個人データを持っていた。合宿の時は、それで助けてもらったものだ。
 彼女に聞けば、きっと教えてくれる。恋人である私が他の人に聞くのもどうかと思うけど、目的のためにプライドは捨てよう。
 勢い良く飛び起きると鞄から携帯を出して、朋ちゃんのアドレスを呼び出した。
 そうして電話がつながると、実はね、と話し出した。
 その先に、私にとって衝撃の事実が待っていることを知らずに。





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かわい 五香様
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